アイドル転落記

絶望の学生時代からアイドルを経て不倫に走り、愛する子どもを殺し、ブラック企業を経験したのちに平凡且つ普通のOL生活を手にいれる一般女性の話。ノンフィクション。実話です。

高校生活①ダウリングコレット結成

中学卒業後、公立高校に進むことになる。

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アイドルになろうとしたきっかけ - アイドル転落記

では触れなかったが、中学校3年の4月からは塾に通っていた。

中学までの授業は、聞いていれば理解できたし、成績も悪くはなかった。

だが、母は高校受験で自分の学力相応の偏差値55程度の高校に進んで苦労していた姉の姿を見て、私には偏差値の高い学校に入ってそのまま良い大学に入れるようにと願ったようだ。

 

中学3年の夏以降は結構勉強した。

塾も勉強も楽しくて苦ではなかったし成績もぐんぐん伸びた。

オール4前後だった成績が、内申点として重要な2学期にはほぼオール5になった。(美術と体育はどう頑張っても4だった。笑)

そのまま公立の推薦でも良かったが、

塾の先生から私立の附属高校を進められたので、

早稲田大学の附属を推薦で受験したが、試験本場の小論文の問題が今までに経験のない分野で、躓いた。

 

 

受験結果は

 

 

 

不合格

 

 

 

元々早稲田大学附属自体が無謀だと自分でわかっていたから、

1ミリも落ち込まなかった。

 

落ちてむしろ良かったとも思っていた。

自分だけ私立に行くのにためらいがないといえば嘘だったからだ。

 

その後、公立高校を受験し、偏差値65程の高校に合格した。

日本の法律を侵さなければ何をしても良い、校則のない自由な校風で、

もちろん制服なし、染髪、ピアスOK!!

 

この自由な環境で3年間過ごすこととなる。

ドラマで見たような、漫画で読んだような甘酸っぱい高校生活が待ち受けていると思っていたが、実際はただ酸っぱい高校3年間になる。

 

このときは知る由もなかったが。

 

 

 

 

 

 

高校入学数週間前、

1年生の教科書を受け取りに行った際に

入学前の宿題が出された。

 

 

 

量がえげつない。

 

英国数、各問題集2or3冊(50ページほど)

英語小説1冊読破

 

 

 

 

これを中学卒業~高校入学までの

約2週間でやれと………

 

 

 

 

私には無理だった。

入学する前にもう無理だと悟った。

実力的にギリギリの高校を最下位で合格したと思っていたから、

ここで初めて勉強面で絶望を味わった。

 

まだ入学すらしていないのに。

 

 

 

4月。

地獄の高校生活が始まった。

入学式翌日から実力テスト。

授業は、”はい皆、入学前の教材でやったからここ分かるよね~”

で進んでいく。

皆それが当たり前の様にすました顔で問題を解いているし、

部活に専念して、笑っている。

 

私にはついていけなかった。

中学までは、何をしても中の上以上にはできていたのに、

何をしても良くできる人の中に放り込まれた途端、

本物の自分の姿が映し出され、自分に自信がなくなった。

井の中の蛙だったのだと、このとき初めて理解した。

自分なんてたいしたことない。

自信が日に日に失われていった。

 

 

自信を失いつつも、それなりには楽しかった。

高校1年生、15歳。

このころには、自分の顔面偏差値がどの程度なのかも分かっていたし、アイドルになるのは諦めていたけれど、人前で歌を歌いたいという願望捨てきれずにいたので、軽音楽同好会に入会した。

バンドは、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムの4ピースが基本として成り立っているので、1つのバンドを結成するにはそれぞれ1人は最低でも必要だった。

 

私はこういうところで運を発揮する。

同学年に、しかも女子で、それぞれの楽器をやりたい子が集結したのだ。

 

ギター:萌子

ベース:愛菜

ドラム:亜樹

 

4人でバンドを結成した。

バンド名は”ダウリングコレット

 

当時、倫理の授業でやっていた、

シンデレラコンプレックスを唱えた人物の名前をとった。

 

私以外のメンバーの顔立ちはとても綺麗だったので

すぐに先輩からも、同級生からも

ダウリングコレットは有名になり、校内でも人気のバンドに成長していった。

名前だけが成長していった。そう。名前だけが………

 

 

 

ライブをする前に名前だけが有名になりすぎたのだ。

当時15歳。担当した楽器経験があるのはギターの萌子だけだった。

萌子は5歳から父親にギターを習っていた為、下手な3年生よりも断然上手いほどの実力者で、一方の3人は未経験者だった。

 

私なんて、マイクを持って人前で歌った経験なんてないし、憧れていただけでレッスンすら受けたことはなかった。どう発声するのか正しいのかもわからなかった。

音楽の成績に限ればピアノをやっていたので、小学生の頃から一番良い成績しか取っていなかったし、歌も上手いと言われていたが、それも井の中の蛙。勘違いも甚だしかった。

 

 

 

 

名前だけが有名になりすぎたダウリングコレットの初ライブ。
私の歌声を聞いてがっかりしなかった人はいないだろう。
音程はそこまでひどくはなかったはずだが発声が聞くに堪えないものであったに違いない。

 

 

 

観客だけでなく、バンド内でも私がヴォーカルってどうなの?

という疑問が生じていたのではないかと思う。

初めて軽音室で歌った私の歌を聴いて、

亜樹の顔がひきつったのは今でも忘れない。

声が高くて可愛い愛菜に、その後何度も歌わせようとしていたことも、

実際にもう一つバンドを結成して愛菜に歌わせていたことも、

忘れない。

 

 

 

 

 

 

方向性の違い、メンバーのやる気の違いで

簡単に解散していくバンドが多数ある中ダウリングコレットについては、

3人が可愛い!!

というだけで人気を保ちつつ、解散せずに卒業まで存続できた。

奇跡である。

可愛いとは正義なんだとこの時改めて実感した。

 

 

 

高校生活は続く