高校生活③ミュージカルスクール体験
発狂事件が起きてからも高校には通い続けた。
発狂事件概要↓
友達は嫌いではなかったし、頑張って受験をした思いが蘇ったから。
何よりも、中学の先生に相談したら、
受験には余裕で合格したと、受験成績表を見せてくれたから。
クラス成績も最下位ではないからもっと下がいることにも
このとき初めて気づいて、少しだけ元気になったから。
人間の心理とは最低なもので、
上を見ればきりがないが、自分より下を見て安心する。
こうして社会は成り立っているのかもしれないと、思った。
ある街頭アンケートがある。
”自分の容姿は何点ですか?”
女性限定でのアンケートだったが全員が75点以上と点数を出した。
お世辞にも可愛いとは言えないような女性ですら、自分のことを平均以上だと思っているようだった。
点数についてのコメントをもらうと
「普通よりは可愛いかなと思っている。」
100人中95人はこう答えた。
残りの5人はというと、謙遜して
「ブスだから」と答えていたが、その5人ともとても可愛らしい顔立ちで、
可愛いと幾度となく言われてきたであろう顔をしていた。
本心でそう思っているとは到底思えなかった。
女って性格わるい。
そう思い始めた高校1年の秋だった。
ミュージカルがやりたい。
そう言ってから、実現すべく色々調べた。
自分からは何も動かないのに、人のせいにしてばかりいる
今までみたいな厚かましい自分が嫌だった。
未経験 ミュージカル
高校生 ミュージカル
歌いたい 踊りたい
歌 下手 ミュージカル
色んなワードでネット検索をして、
M市にあるミュージカルスクールに辿りついた。
税理士である父がたまたま仕事で足を運ぶ場所の近くだったので、
父と母、3人で見学に行くことになった。
父はなんだかとても嬉しそうだった。
体験レッスン、見学いつでも大歓迎
そう書いてあったので、ノンアポで見学に行ってしまったのが間違いだった。
日曜日のその日は、最終リハだったらしく見学を拒否され、無駄足となってしまった。
高校1年生。15歳。
思春期真っ只中の私は見学くらいひとりで行けるからと豪語し、
3人で出かけるのさえ不満があったのに、
その上見学すら断られ、ことさら不機嫌になった。
勇気を出して踏み出そうとしたのに、
ミュージカルスクールにすら拒否されたんだ。
私は何かを始めようにもきっかけすら掴めずに砕かれるんだ。
こうして悲劇のヒロインになりきって厚かましい自分へと戻っていった。
転機が訪れたのは翌年2月。
例のM市のミュージカルスクールの公演があると母が見つけてくれ、
一緒に見にいくことにした。
ミュージカルを生でみたのは、小学校の音楽鑑賞教室以来だった。
同年代の子が舞台に乗って演じている姿がとても眩しかった。
その中でもひとりダンスで輝く子がいて、ずっとその子を目で追っていた。
私もこの中に入りたい。
強くそう思ったが、厚かましさが板についた私が重たい腰を上げるのは、
2年生の文化祭が終わる頃だった。
地獄の高校もその頃には開き直って、相変わらず勉強はしないまま提出物でポイントを稼いでどうにか留年しないように在籍していたのだが、
ミュージカルスクールのことを思い出したのは、文化祭がひと段落して刺激を求めていたときだった。
1年の2月から2年の秋にかけての空白の半年以上の間
私は、男遊びに夢中になっていた。
それは後日、綴ろうと思う。
重い腰を上げた私は
今度はひとりで学校終わりに見学へと出かけた。
平日の夕方の時間帯のレッスンは今度こそ見学することができた。
その日は歌のレッスンとダンスレッスンがあり、親切なことに両方の体験レッスンを受けさせて貰えた。
最初は歌の集団レッスンだった。
レッスンスタジオに案内されると、2月の公演時に目で追っていた子、他の役で出演していて、顔を見たことがある子がいて、声をかけたらすぐに打ち解けた。
公演時に目で追っていた子は英里という名前で、同い年の高校2年生だった。
体験レッスンは発声練習からはじまった。
歌についてのレッスンは初めてのことで、顔には出さないが、内心とても嬉しかった。
ただ、他のメンバーは既にちゃんとした発声方法を身につけていて、見よう見まねでついていくだけだったから集団レッスンでは正しい発声方法はわからなかった。
それでも、歌のレッスンを受けれたことが嬉しかった。
次はダンスレッスンを体験したのだが、ダンススタジオに入る前に担当する先生に
"うわっ!ギャルだ"
と驚かれた。
見た目だけでも”可愛い天才たち”の仲間入りできた気がして嬉しかった。
この先、この金髪の髪の毛がミュージカル生活において仇となるのだが.........
スクールでは、ミュージカルの要となるジャズダンスをはじめ、タップダンス、ヒップホップ、バレエの項目があり、その日はジャズダンスだった。
小2〜中2まで新体操をやっていたので身体を動かして踊ることに関しては全くの素人ではなかったが、3年ぶりに動かす身体は完全に鈍っていて自分が自分じゃないようだった。
振り入れに関しても、見たまま動くことができず考えてから動いてしまう。
大人になると最初にまず頭で考えてしまって動けないと聞いてはいたが、
こういうことなのか!!!とハッキリ実感した瞬間だった。
私が時々発動する、運の良さをこの時無駄に発揮した。
曲の振り入れが新しい曲に切り替わったタイミングだったのだ。
ダンス上級者でなければ、1から振り入れをスタートするのと、途中から参加するのでは、意味が全く違う。
私はついていると思った。
英里はダンスレッスン中、私を気にかけて時々目配せをしてくれた。
英里は優しい子だな。
ここでなら頑張っていけると直感した。
英里と切磋琢磨していきたい。心からそう思った。
レッスン後に英里とメールアドレスを交換し、一緒に頑張ろう!
と約束を交わした。
帰宅後すぐに母にスクールの感想と通いたい旨を相談した。
快く承諾してくれ、翌日にはお金を握りしめて向かった。
その日以降は高校とスクールをはしごし、家に眠りに帰る毎日を送った。
高校のダウリングコレットの活動は、
同好会なので月に2~3回しかなかったし、
ダウリングコレットの活動日にはスクールは行けなかったけれど、
萌子と愛菜と亜樹とは仲良くやっていたので、
ようやく充実した高校生活が訪れた気がした。
夢に向かって一歩踏み出せた気がした。
外部で活動することによって劣等感を感じていた”可愛い天才達”よりも
大きく上回った高揚感を得た。
気がした。
気がしたのだった。
高校生活は続く。