アイドル転落記

絶望の学生時代からアイドルを経て不倫に走り、愛する子どもを殺し、ブラック企業を経験したのちに平凡且つ普通のOL生活を手にいれる一般女性の話。ノンフィクション。実話です。

高校生活⑥志望大学 

ミュージカル公演を期に私はスクールに行かなくなった。

 

今まで糞くらえと思っていた英里たちに土日は必ず会わなくてはいけないから、平日の通常レッスンも遠慮しないで行っていいんだし、行きたいのに我慢する必要はないと思っていた。何より、”あいつ来なくなったね。うける”そう思われたくなくて負けん気で通っていた。でも、公演が終了した途端にその負けん気はどこかへ消えていった。

消えていったというより、土日会わないなら、

そんな環境の所に無理して通わなくていいんだと、燃やしていた闘志の炎が消えたといった方がいいかもしれない。

 

肩の荷が下りた。

もう、笑われに行かなくていい。避けられなくていい。英里に合わなくていい。嫌な思いをしなくていい。

 ようやく自分の本当の気持ちに正直になれた。

 

嫌な気持ちのまま、くだらない女たちに負けたくないから通っていただけだった。

闘志を燃やしているのだと思い込んで弱い自分を隠しただけだった。

 

以前、新体操の選手コースに進級するところで、

いじめられ、新体操を辞めたことがあったが、

頑張ろうと思った場所で、

女のいじわるのせいで、辞める。

 

完全にデジャヴだった。

環境が悪い。すべて環境のせいにして逃げていたのだが、

これに気付くのはもっと大人に近づいてからになる。

 

 

 

ミュージカルスクールに通わなくなった私に、

お金をかけてくれた両親は何も言わなかった。

「受験だから通ってなんかいられない」

「そろそろ真面目に勉強しなきゃ」

何て言ったのか、何か言い訳したのか、それとも何も言わなかったのか、詳しくは覚えていないが、当時の私はたぶん、進学校にいることを盾にしたのだろう。

 

高校3年生になり、I駅にある、大手予備校に週3回通い始めた。

理数系が苦手という理由で文系だったので、国語、英語、歴史の3科目を受講した。

 

しかし、大手予備校は私には合っていなかったのだろう。

大人数に対して先生が一人で講義をするので、わからないところがあっても質問できないままだし、先生に個人的に質問に行くほど熱心でもなかった。

わからないから楽しくないし、ストレスでしかなかった。

特に、大学に入ってやりたいこともないし、入りたい大学も入りたい学部もなかった。

強いていえばミュージカルや舞台、芸術関連の勉強をしたいと思った。

ミュージカルに対する気持ちが完全に失われたわけではなかった。

むしろ、興味があること以外なら大学なんて入ってもどうせ辞めることになるよ。

と脅しまがいのことすら、親に発していた。

 

そういった学部がある大学は非常に少なかった。

音大は、楽器の専門になるし、芸術学部といえば日大芸術学部が筆頭に挙がるが、才能のある限られた人が入れる狭き門だった。

 

夏休み前に、受験する大学について高校の担任と2者面談をする機会が設けられた。

その時に気持ちをすべてぶつけた。

先生はとても熱心な方で、私の交友関係なども熟知していた。

先生からのアドバイスは、”絶対行きたくなるから青山学院大学(MARCH)に見に行ってごらん。青山学院大学なら総合文化政策があるから、そういったことを学べるよ”

といったものだった。

そして先生がそのまま、ダウリングコレットのギターの萌子に声をかけたので、強制的に大学の見学に行くことになった。

 

その後、流されるままに見学に行き、その後の模試には青山学院大学の総合文化政策を判定大学欄に入れるようになった。

8月模試ではA判定だった。

 

夏の時点でA判定だった私は、そのまま上を目指すのかと思いきや、

へたれを発揮し、調子にのってあまり勉強しなかった。

暇つぶしに予備校には通っていたが、勉強にまるで身がはいらなかった。

受験生全員が努力して成績を伸ばす時期に私は妥協していた。

A判定がでてしまったことが裏目にでた。

 

その後の秋の模試ではE判定にまで落ち、このままではやばいと思いつつも、

夏に開いた差は埋まるわけがなく、

判定が回復することはなかった。

 

MARCHに行きたいというプライドがあるわけでもなく、

やっぱり、落ちこぼれのわたしなんて無理なんだよ

という気持ちに支配され、そのまま志望校を変更した。

 

やはり、芸術系を学べる学校は譲れなかった。

私は、T川大学芸術学部とA女子大学文学部にある現代の文化の表現を学べる大学を受験することにした。

T川大学は、実技を含む、舞台を学べる学校だった。

A女子大は座学のみだったし、馬鹿が集まる学校として、有名だったのであまり行きたくなかったが、芸術を学べるので、他大学の文学部や経済学部に行くことと天秤にかければ、A女子大学が勝った。

大学受験といえば、たくさんの学校、たくさんの学部を受験する人が多いと思うが、私はこの2校に絞り、記念受験も拒否した。

 

T大学の芸術学部にはピアノ専攻と、舞台専攻があり、受験方法がどちらの学科も2科目だった。

2科目中1科目を実技にすることも可能だった。実技が、ピアノ、歌、バレエから選択できたが、私は2科目とも筆記を選択した。

実は、小学校1年生~高校3年生までピアノを習っていた。

高校3年生の頃には、ピアノの先生に、”ルナちゃんも音大こない?お姉ちゃんよりも才能あるよ。ルナちゃんのピアノは表現がすごくいい”と声をかけてもらったこともあり、T大学を受験することを知った先生は”ピアノで受験すれば受かるよ”とまで言ってくれた。

しかし、私は頑なに拒否した。ピアノ自体がそこまで好きではなかったし、姉がどれ程ピアノに向き合っているか知っているから、あんなに練習するのは嫌だと思った。

 

 

周りの意見を一切聞かないで試験方法や、志望校を決定した私は、1月になり、ついにセンター試験を迎える。

滑り止めであるA女子大学をセンター受験するために、全国統一センター試験の受験が必要だった。

現代文と英語、歴史の中から2教科の点数がいいものが採用されるということで、

現代文が常に満点か95点の私には余裕だった。

 

余裕なはずだった。

 

なのに・・・・・・・・・

 

続く